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AV Mod!

ども。昨日、「外出」ということにして秋葉原に行って来ました。目的地はもちろん電気街です。あの昭和チックな雰囲気がたまらんとです。別の意味で癒されました(笑)
ということで、今回のテーマは「AV Mod」!
昨日に続き、Atari 2600のお話です。ゲーム機なのに画像を出力できないという致命的な我が家の2600ちゃんですが、元々、古いゲーム機なのでアンテナ端子に接続するRF形式で、これをAV端子(黄、白、赤のやつね)で出力する改造ができないかなぁなんてネットで探していたら、あるわあるわ(笑)やっぱ、世界中で同じことを考えている人はいるもんですね。
最初に見つけたサイトは、写真も大きく事細かに説明してくれている親切サイトなのですが、なんとドイツ語!ドイツ語といって「バームクーヘン」とか言ってしまうのは、エヴァンゲリオンのシンジくんの有名なセリフですが、僕もそんなレベルでした(汗)
他に探していたら、ようやく発見!ドイツ語サイトは後期型のAtariで改造していたのに対し、ここのサイトは初期型での図(写真ではない)と英語なのでピッタリでした。まぁ、英語はペラペラではないけど、興味のあることは、”自分翻訳”したりしているので、何となく理解できるかな。
で、抵抗、半固定抵抗、基盤、配線、RCAジャックなどを購入しに秋葉原の電気街に行きました。何件もお店周りを覚悟していたのですが、30分くらいで部品は揃いました。
早速、制作です。サイトの回路図は、さほど難易度の高いものではないので、電子の知識をちょっと知っている程度のレベルで理解できます。そして、半田付け。自作基盤はこんな感じ。あまり美しくない…ですが。

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RCAジャックを取り付け完了。思ったよりスムーズな作業でした。
実際にテレビに接続して動作チェック!なんか想像していたより画像が荒いなぁ。まぁ、ファミコンの復刻版「ファミュレータ」もテレビに接続するとあまりキレイな画像ではないので、古いゲームは仕方がないか…。ある程度文字が読めれば問題ないし。ということで、無事完了。ちょっとはトラブルを想定していたのですが、トラブルといえば半田ごてをズボンに落としてしまい穴を開けてしまったぐらいで、ハード的なトラブルはありませんでした。それにしても、なんでこういうことに情熱が湧いてくるんだろう?(笑)もっと別のことに情熱を注げばなんて自分にツッコミたくなります。ちなみに「AV Mod」のModはモディファイ(修飾、修正)という意味だそうです。おわり。


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2600!

ども。職場の上司が今月から別の部署へ異動(逃げたというウワサも)した煽りをくらい、毎日忙しい…というかドタバタな毎日です。この上司、ある業界ではカリスマ的なご身分なんですけど、とにかく部下や後輩には何も教えたり引き継ぎとかもしないし…。まぁ、「名選手は名監督になれない」の典型ですね。ああいうオトナにはなりたくないねぇ(笑)
ということで、今回のテーマは「2600」!
20年来の大親友がこのタイトルを見たら「とうとうARPの2600を買ったか!」と勘違いするでしょう(笑)
ARP2600というのは、大きなシンセサイザーで、30年以上も前の製品なので、今では骨董の域で海外のオークションでも軽自動車の新古車が買えるぐらいの値段で取引きされていました。音を出しても素晴らしいし、お部屋のインテリアにも最高ですし(オイオイ)、いつかは手に入れたいのですが…無理だなぁ。
で、今回のテーマの2600というのは、ATARIというメーカーのゲーム機、ATARI 2600という製品です。海外のオークションで手に入れたのですが、アメリカ人て、いい加減だよねぇ。譲ってくれた人(アメリカ人)は、大量に中古で仕入れて高価で売ってアラ稼ぎしているらしく、実際に掲載されていた写真と現物の物が違うんだもん。現在も同じ写真で同じ商品を出品してるし(笑)出品写真は初期型の2600、届いた物はマイナーチェンジしたタイプの2600Aで(苦笑)まぁ、動けばイイので特に拘りはありませんけどね。
それに、メチャメチャタバコのヤニとホコリまみれ!あまりにもヨゴレがヒドいので、筐体と基盤を外してマイペット君の出番です。洗ったら新品みたいになりました(当たり前か)。
このATARIというゲーム機、80年代初頭に世界的にゲーム機の標準機みたいにバカ売れし、世界中のキッズに親しまれてきましたが、任天堂のファミリーコンピュータの登場により、ゲーム機の王道を任天堂に明け渡してしまいました。任天堂のファミコンのお手本になったようなマシンですね。それ以前のゲーム機は本体にソフトが数種類あらかじめセットされていて、カセットでソフトを交換して遊ぶというのは当時、画期的でした。ゲームソフト自体はというと、今となっては8ビットのチープ&レトロな画面が懐かしさを醸し出します。
なんで今更8ビットのゲーム機?と思う方もいるかもしれません。実は、このマシンの内蔵音源で音を出そうというソフトがありまして、それをやりたいが為に購入しました。究極の無駄遣い?(笑)
詳しいことは調べていないので説明できませんが、Sid Stationというコモドールのチップを使ったピコピコシンセがプレミアがついているのですが、その同じチップを搭載しているのがこのATARI 2600らしいという情報を海外のサイトから入手しました。真実は分かりませんが。
YouTubeで2600から音を出している画像がいくつか紹介されていますが、チョークール!画像を見てすぐ欲しくなりました。
僕の購入した物は、「アンプにも繋げるようにオーディオアウト端子を追加してあるぜぃ!」と謳われていたのは良いのですが、あれ?何か足りない…そう画像の出力端子(RF端子)!オーディオアウトの変わりにRF端子を外してしまってあるではないか!なんだかなぁ。最初からそう説明しろよなぁ。
どっちにしても、古いテレビゲーム機や初期ファミコンはRF端子接続なので、AV端子に改造する必要があるんですけどね。くどいようですが、それにしてもアメリカ人ていい加減だなぁ。お写真は、キレイサッパリになったAV出力改造手術を待つ2600くんです。おわり。


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ラフィン・ノーズ!

ども。本日、サーフィンに行って参りました。久しぶりだったので、もの凄いテンション!(笑)ショップのオーナーさんも「久しぶり〜」と握手までしてくれちゃって…苦笑。この人とは、ホント気が合うんだよねぇ。今年もお世話になります。
そうそう!相変わらず手の甲だけ日焼けしてしまいました(笑)
ということで、今回のテーマは「ラフィン・ノーズ」!
行って来ました、ラフィンのライブ!ラフィンと言えば、メジャーデビュー直後に事故があったりとトラブル続きでしたが、今もなお元気に活動しております。ラフィンのライブは行ってみたかったんだけど、今まで一度もなく、今回は興味のない後輩を無理矢理連れて行きました(笑)
オールスタンディングなので、整理番号順に入場するのですが、僕は300番手前ぐらいでしたが、僕が入場する時点で数十人しかおらず、「大丈夫かいな?」と心配しておりましたが、開演時間手前にゴッソリとお客さんが詰めかけてきました。
開演時間から30分経っても始まらず、苛立ち紛れに心ないことを叫ぶ客が目を引きました。う〜ん、なんだろう?烏合の衆状態ですね。集団で暴れちゃって…マナー悪い客が多いねぇ。
いよいよメンバー登場!生で観るラフィンに大興奮!しかもボーカルのチャーミーが目が合ってニコッとしてくれたし(照)チャーミーって、お客さんの顔を見ながら歌うのは昔から変わっておらず、これがラフィンの魅力だよねぇ。
僕は、ほぼ最前列にいたのですが、ダイブしている連中の足が頭を直撃して「イタタ」状態だったので、最初の5曲ぐらいで後ろの方に引き上げました(汗)
ラフィンの曲ってキャッチーだから、覚えやすいしお客さんも大熱唱してました。こういうライブっていいなぁ。
まぁ、メンバーさんは僕が熱狂的だった頃に比べれば、だいぶ歳をとりましたが、僕も同じように歳とたんだなぁなんて考えるとセンチメンタルな気分になりました。これからも、ずっと応援したいですね。ゲット・ザ・グローリー!おわり。


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愛し合ってるか〜い!

ども。5月ですねぇ。ゴールデンウィークは音楽づくしの休日になりそうです。サーフィン?どうやら波がないらしいので、未定です。
ということで、今回のテーマは、「愛し合ってるか〜い」!
忌野清志郎さんが亡くなりました。享年58歳。まだ若いよなぁ。近年は復帰もされていましたが、まだ完治していないようにも見受けられましたね。
清志郎さんやRCサクセションには、いろんな思い出があります。
僕が高校入学時に先輩からスカウトされて(?)、フォークソング部にほぼ無理矢理、入部しました。ニューミュージックの時代ですから、「フォークソング」というキーワードも時代遅れな感じでしたが…苦笑
で、1ヶ月後に1曲、先輩達に披露しなければならず、当時ギターもろくに弾けない人間でしたから、もう猛練習しました。その時、僕が選んだ曲がRCサクセションの「3番目に好きなもの」。なぜ、この曲にしたかと言いますと、当時RCはギンギンのロック路線でしたが、初期はフォークをやっていたということで興味を持ち、初期RCを聴きました。RCのフォークは、70年代フォーク(通称四畳半フォーク)にありがちな「暗さ」はなく、今で言うところの「ゆず」や「野弧禅」などのルーツ的な音で大変衝撃を受けました。
先輩達には「なんでRCなの?」という冷たい仕打ちを受けました。フォークソング部では、松山千春、長渕剛(フォーク時代のね)、中島みゆき、アリスあたりが定番でしたから、RCというチョイスは異端だったのかもしれません。
先輩達への披露は…もちろんボロボロでした。ギターはヘタだし、声もイマイチ出てないし…。まぁ、先輩達にとても可愛がっていただいたし、楽しかったのでフォークソング部は僕にとっては良い思い出です。
次に高校三年の夏、就職するか?進学するか?で悩んでいたのと失恋したこと、家庭のことなどで精神的に衰弱して17〜8歳で生きる希望を失っていたときに、親友から「RCのチケットあるんだけど行かない?」と誘われ、抜け殻のような身体でコンサート会場に足を運びRCのコンサートへ行きました。清志郎さんがステージ狭しと大暴れしている姿に衝撃を受け、「俺も元気出さなくちゃ!」と奮起しました。確か、氷室京介さんもRCのステージを観て、バンドを始めたと言ってましたね。
その後、清志郎さんは放送ギリギリソングを歌ったり、TVで放送禁止用語を言ってしまったりと、ギリギリ路線になりましたが彼の活動のバイタリティーには脱帽させられます。
そこそこ金も知名度も得ると守りに走るミュージシャンが多い中、スゴい生き様だなぁと思いました。
突然の訃報でショックですが、きっと天国でも歌われているのでしょうね。ご冥福をお祈りします。お写真は、一番トンがっていた頃のRCのボックスセットです。おわり。

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